読売ジャイアンツ(巨人)の永久欠番は、2026年10月現在、背番号「1」「3」「4」「14」「16」「34」の6つです。王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」をはじめ、日本プロ野球の歴史を築いた6人のレジェンドが、それぞれの番号と結び付いています。
しかし、巨人の永久欠番は、単にホームラン数や勝利数が多かった選手を称える制度ではありません。戦後間もない時期に制定された黒沢俊夫の「4」と沢村栄治の「14」には追悼の意味があり、王貞治の「1」は現役引退から正式な永久欠番制定まで約9年を要しました。2025年に長嶋茂雄が亡くなった後も、背番号「3」は球団の歴史を象徴する存在であり続けています。
【巨人の永久欠番は何番?】2026年最新の答えは6つ

巨人の永久欠番は、1947年に誕生した「4」と「14」から始まり、1989年に制定された「1」まで、計6つあります。以下が、2026年現在の永久欠番一覧です。
- 背番号1:王貞治
- 背番号3:長嶋茂雄
- 背番号4:黒沢俊夫
- 背番号14:沢村栄治
- 背番号16:川上哲治
- 背番号34:金田正一
NPBの選手記録や巨人の歴代背番号資料を照らし合わせると、6つの番号は制定時期も背景も異なります。王と長嶋のように球団を代表するスター選手の功績を称えるケースがある一方、黒沢と沢村のように、選手の死をきっかけとして顕彰されたケースもあります。
ここで押さえておきたいのは、永久欠番は球団が特定の番号を正式に顕彰する仕組みだということです。優れた成績を残した選手が引退したからといって、自動的にその番号が永久欠番になるわけではありません。
【巨人永久欠番一覧】6選手の制定年・功績・理由を比較
6つの背番号を理解するには、選手名だけでなく、制定年とその背景を一緒に見ることが大切です。通算成績は、選手の実績を示す代表的な指標として整理しました。
| 背番号 | 選手名 | 制定年 | 主な功績・制定の背景 |
|---|---|---|---|
| 1 | 王貞治 | 1989年 | 通算868本塁打。世界的な本塁打記録と球団への貢献を顕彰。 |
| 3 | 長嶋茂雄 | 1974年 | 通算2471安打、444本塁打。ミスタージャイアンツとして球団の象徴に。 |
| 4 | 黒沢俊夫 | 1947年 | 戦後の巨人を支えた外野手。現役中の死去を受け、追悼の意味も込めて制定。 |
| 14 | 沢村栄治 | 1947年 | 通算63勝22敗、防御率1.74。球界初期を代表する名投手で、沢村賞の由来にもなった。 |
| 16 | 川上哲治 | 1965年 | 通算2351安打、181本塁打。打撃の神様と呼ばれ、監督としてもV9を達成。 |
| 34 | 金田正一 | 1970年 | 通算400勝298敗。日本プロ野球史上最多の通算400勝を記録した左腕。 |
※成績は主な通算記録を掲載。金田正一の400勝は巨人在籍時だけでなく、国鉄スワローズ時代を含む日本プロ野球での通算記録です。
この一覧から分かるのは、永久欠番の評価が単一の数字で決まらないことです。王の868本塁打や金田の400勝は際立った記録ですが、黒沢の「4」は現役中の死去と人望が制定の大きな背景となりました。沢村の「14」も、戦争によって若くして命を落とした名投手の功績を後世に残す意味を持っています。
【巨人永久欠番の制定の経緯】1947年の「4」「14」から始まった歴史
巨人の永久欠番の歴史をたどると、最初の2つが制定された1947年7月9日が重要な節目になります。対象となったのは、背番号「4」の黒沢俊夫と「14」の沢村栄治です。日本プロ野球で初めて永久欠番が制定された事例として知られています。
黒沢俊夫の「4」:戦後の巨人を支えた選手への追悼
黒沢俊夫は、戦後の選手不足に苦しむ巨人を支えた外野手です。1947年6月23日、33歳で腸チフスにより現役のまま亡くなりました。球団はその死を悼み、同年7月9日に背番号「4」を永久欠番としました。
NPB公式サイトの個人年度別成績では、黒沢の通算成績は459安打、7本塁打、打率.259と記録されています。数字だけを見ると、後世のスター選手とは異なる印象を受ける可能性があります。しかし、永久欠番の歴史を扱う週刊ベースボールONLINEなどの野球史関連記事では、戦後のチーム事情や黒沢の人柄も重要な背景として紹介されています。
この事例が示しているのは、永久欠番が必ずしも突出した通算記録だけを評価する制度ではないということです。チームへの貢献、仲間や球団からの敬意、追悼の意味も、背番号を残す理由になり得ます。
沢村栄治の「14」:戦争で失われた伝説のエース
沢村栄治は、プロ野球草創期を代表する投手です。通算63勝22敗、防御率1.74という成績を残し、1934年の日米野球でベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらを擁する米国選抜と対戦したことでも知られています。
沢村は1944年12月2日、27歳で戦死しました。戦後、黒沢の「4」とともに背番号「14」が永久欠番となり、同じ1947年には最優秀投手を顕彰する沢村栄治賞も制定されました。
現在の沢村賞は、先発投手の優れたシーズンを評価する代表的な賞として野球ファンに知られています。永久欠番と賞の両方に名前が残ることは、沢村の功績が背番号という枠を超えて日本野球の歴史に刻まれていることを示しています。
川上哲治、金田正一、長嶋茂雄、王貞治へ
1947年の2例に続き、巨人は長い年月をかけて4つの永久欠番を追加しました。制定の経緯を追うと、それぞれの番号が異なる時代の球団像を映し出しています。
- 1965年1月18日・川上哲治の「16」:現役時代に打撃の神様と呼ばれた川上は、監督としても巨人を9年連続日本一に導くV9を達成しました。
- 1970年4月2日・金田正一の「34」:国鉄時代から積み上げた通算400勝という、日本プロ野球史上最多の勝利記録が大きな功績です。
- 1974年11月21日・長嶋茂雄の「3」:現役引退とともに、巨人の象徴的存在だった長嶋の背番号が永久欠番となりました。
- 1989年3月16日・王貞治の「1」:現役引退後も助監督・監督として番号を着用していたため、正式な制定は監督退任後となりました。
特に王の「1」は、引退と同時に永久欠番になったわけではありません。1980年に現役を引退した後も、王は1980年代を通じて指導者として背番号「1」を着用しました。正式な永久欠番制定が1989年になった経緯は、永久欠番の決定と現役引退が必ずしも同じタイミングではないことを示す代表例です。
【永久欠番の制定基準】成績が優秀なら必ず選ばれるのか
巨人の永久欠番に関して、よくある疑問が「何本ホームランを打てば永久欠番になれるのか」「何勝すれば番号が残るのか」というものです。しかし、プロ野球全体に共通する、成績だけで機械的に決まる統一基準はありません。
永久欠番は、球団が歴史的な功績を認め、その背番号を特別なものとして扱う判断です。選手としての成績は重要な要素ですが、それだけで制定が保証されるわけではありません。
巨人の6人を比較すると、評価の観点が複数あることが分かります。
- 記録の歴史的価値:王の通算868本塁打、金田の通算400勝など、長期間にわたって語り継がれる記録。
- 球団の象徴としての存在:長嶋のように、プレーだけでなく球団の知名度や人気を支えた選手としての影響力。
- 選手・指導者としての貢献:川上のように、現役時代の実績に加えて監督としての功績も大きい人物。
- 追悼と歴史の継承:黒沢や沢村のように、死去を機にその功績を後世に残す意味を持つ事例。
また、永久欠番の制定は球団ごとの判断です。巨人で永久欠番になったからといって、別の球団でも同じ基準が適用されるわけではありません。反対に、記録が非常に優れていても、球団が正式な永久欠番を制定しない場合もあります。
つまり、永久欠番の制定基準を理解するうえでは、成績表だけでなく、制定時の球団発表や球団史、当時の野球界の状況を合わせて確認することが欠かせない。
【永久欠番と準永久欠番の違い】巨人の背番号55はどう考える?
永久欠番と混同されやすい言葉に「準永久欠番」があります。どちらも偉大な選手の背番号を特別に扱う際に使われますが、正式な位置付けは異なります。
永久欠番は、球団が特定の背番号を正式に欠番として顕彰するものです。一方、準永久欠番は、NPB全体で統一された正式な制度名ではありません。功労者の番号を一定期間使わない場合や、後継者にふさわしい選手が現れるまで保留する場合などを表す言葉として使われます。
- 永久欠番:球団が正式に制定し、原則として他の選手に通常の背番号として割り当てない。
- 準永久欠番:球団の方針や慣習によって一定期間使用を見送るなど、運用が変わる可能性がある。
巨人では、松井秀喜が着用した「55」が準永久欠番的な番号として語られることがあります。ただし、準永久欠番という呼び方だけで、球団が永久欠番として正式指定したことにはなりません。番号の使用状況や球団の発表を確認して判断する必要があります。
同じように、ある背番号が長年使われていないからといって、直ちに永久欠番とは限りません。選手の移籍や引退後に空いている番号と、球団が正式に顕彰した番号は区別する必要があります。
この違いを押さえておけば、ニュースや背番号一覧で「欠番」「準永久欠番」「永久欠番」という言葉を見かけた際にも、番号が正式に保護されているのか、球団の運用上使われていないだけなのかを見分けやすくなります。
【巨人永久欠番の現在】2026年、王の「1」と長嶋の「3」はどうなっている?
2026年現在も、巨人の永久欠番は「1」「3」「4」「14」「16」「34」の6つです。新たな永久欠番が加わったとする正式発表はなく、6つの番号が球団の歴史を象徴しています。
中でも、王貞治の「1」と長嶋茂雄の「3」は、巨人の歴史を語るうえで特に象徴性の高い番号です。2人は「ON」としてプロ野球の人気を支え、巨人の黄金期を代表する存在となりました。
長嶋茂雄の死去後も「3」は永久欠番
長嶋茂雄は2025年6月3日に亡くなりました。読売ジャイアンツ公式の追悼関連情報では、同年8月16日の追悼試合で、阿部慎之助監督以下、コーチや選手全員が長嶋の永久欠番「3」のユニホームを着用したことが紹介されています。
このような特別な試合で背番号「3」が使用されることは、永久欠番が通常の選手登録とは異なる形で顕彰される場合があることを示しています。追悼のために本人の番号をまとったことと、背番号「3」が他の選手に通常の番号として再び割り当てられることは、別の話です。
長嶋の「3」は、現役引退後も監督時代に着用された経緯があります。永久欠番は、本人による記念的な着用や球団による追悼の演出まで一律に禁じるものではありません。番号を誰が、どのような目的で使用しているかが大切です。
王貞治の「1」も球団の象徴として継承される
王の「1」は、通算868本塁打という突出した記録と結び付いています。巨人で長く主軸を務め、現役引退後も指導者として活動した王の番号は、巨人の背番号史の中でも特別な存在です。
ただし、永久欠番を「選手が引退した瞬間から一切着用されない番号」と理解すると、王や長嶋の経緯を正しく説明できません。永久欠番の正式制定日と、本人がその番号を着用していた時期は、分けて考える必要があります。
2026年の巨人の永久欠番を確認する際には、選手名と番号だけでなく、球団が発表した制定年や追悼関連の公式情報も見ると、番号の現在の意味をより深く理解できます。
【プロ野球全体で見る永久欠番】巨人の6つはなぜ注目されるのか
巨人の永久欠番は6つありますが、永久欠番制度そのものは巨人だけのものではありません。プロ野球の他球団にも、球団を代表する選手や監督、ファンを象徴する番号が存在します。
代表例として、阪神には藤村富美男の「10」、村山実の「11」、吉田義男の「23」があり、中日には西沢道夫の「15」や服部受弘の「10」があります。広島では山本浩二の「8」、衣笠祥雄の「3」、黒田博樹の「15」が永久欠番として知られています。また、西武には稲尾和久の「24」、楽天には星野仙一の「77」などがあります。
一方で、球団の統合や運営方針の変更によって、永久欠番の扱いが変わった歴史的な例もあります。たとえば、近鉄の鈴木啓示の「1」は球団合併後にオリックスの永久欠番として引き継がれませんでした。永久欠番が球団の歴史や組織のあり方と結び付いていることを示す事例です。
巨人の6つが注目される理由は、単に数が多いからではありません。戦後の追悼から、打撃記録、投手記録、スター選手としての存在感、監督としての実績まで、異なる功績が同じ制度の中に残されているためです。
また、米国のメジャーリーグでは、1939年にニューヨーク・ヤンキースがルー・ゲーリッグの背番号「4」を永久欠番にしたことが、その歴史の始まりとして知られています。日本のプロ野球では1947年の巨人の「4」と「14」が初期の代表例となり、永久欠番は選手の功績を球団の歴史に刻む制度として定着していきました。
【巨人永久欠番】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:巨人の永久欠番は全部で何番ありますか? A1:2026年現在、全部で6つです。王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」、黒沢俊夫の「4」、沢村栄治の「14」、川上哲治の「16」、金田正一の「34」です。
Q2:巨人で最初に永久欠番になった背番号は何番ですか? A2:1947年7月9日に制定された黒沢俊夫の「4」と沢村栄治の「14」です。日本プロ野球で最初の永久欠番として知られています。
Q3:王貞治の背番号「1」は現役引退と同時に永久欠番になったのですか? A3:いいえ。王は1980年に現役を引退した後も助監督・監督として背番号「1」を着用し、正式に永久欠番となったのは1989年3月16日です。
Q4:永久欠番と準永久欠番は同じ意味ですか? A4:同じではありません。永久欠番は球団が正式に制定するものですが、準永久欠番はNPB全体の統一制度ではなく、番号を一定期間使わない場合などに用いられる呼び方です。
Q5:通算成績が優秀なら、巨人の永久欠番になれますか? A5:成績は重要な評価要素ですが、それだけで決まるわけではありません。球団への貢献、歴史的な功績、球団の象徴としての存在感などを踏まえ、球団が判断します。
まとめ:【プロの結論】巨人の永久欠番は記録と歴史を残す6つの番号
巨人の永久欠番は、2026年現在、「1」「3」「4」「14」「16」「34」の6つです。王貞治、長嶋茂雄、黒沢俊夫、沢村栄治、川上哲治、金田正一という6人の功績が、それぞれの背番号に結び付いています。
この6つを理解するうえで重要なのは、永久欠番を単なる成績ランキングと考えないことです。王の868本塁打や金田の400勝のような歴史的記録がある一方で、黒沢と沢村の番号には追悼の意味が込められています。川上の「16」には監督としてのV9も重なり、長嶋の「3」は球団の象徴として今なお受け継がれています。
また、永久欠番と準永久欠番は別物です。番号が長期間使われていないことだけで永久欠番と判断せず、球団による正式な制定の有無を確認することが、正確な理解につながります。
巨人の背番号は、選手を識別するためだけの数字ではありません。そこには、記録、チームへの貢献、時代ごとの野球人気、そして選手を忘れないための記憶が刻まれています。6つの永久欠番を知ることは、巨人の歴史だけでなく、日本プロ野球がどのようにレジェンドを顕彰してきたのかを知る手掛かりにもなります。