元大関・若嶋津と、ヒット曲「硝子坂」「私はピアノ」で知られる元歌手・高田みづえさん。1985年の結婚を機に芸能界を引退した高田さんは、約32年間にわたって相撲部屋のおかみとして夫を支えてきました。しかし、2026年3月15日、若嶋津こと日高六男さんが69歳で亡くなり、夫婦の歩みは大きな節目を迎えます。
さらに2026年8月には、NHK「うたコン」で高田さんが11年ぶりに歌声を披露。10月24日にはニッポン放送のラジオ番組にも41年ぶりに生出演し、歌手活動への思いや現在の心境を語りました。若嶋津と高田みづえの出会い、結婚、芸能界引退の理由、相撲部屋のおかみとしての人生、そして2026年最新の近況まで、報道された事実をもとに詳しく整理します。
【馴れ初め】若嶋津と高田みづえは新聞の取材・対談で出会った

若嶋津と高田みづえさんの出会いは、芸能人と人気力士の結婚という華やかなイメージとは少し異なります。2026年10月24日に放送されたニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」で、高田さん自身が当時の出会いについて振り返りました。
高田さんによると、最初の接点は新聞の取材・対談でした。当時は歌手として多忙な日々を送っており、休みが月に一度あるかどうかという生活だったといいます。仕事で相撲の支度部屋を訪れ、髪を結っている最中の若嶋津に紹介されたことが、二人の最初の出会いでした。
初対面の際、高田さんは若嶋津の様子が印象に残ったことも語っています。若嶋津が高田さんのファンだったという背景もあり、二人の出会いはその後の交際へとつながっていきました。
交際中のデートは一度だけ?
2025年4月30日放送のテレビ朝日系番組に出演した高田さんは、結婚前のデートについても明かしています。二人が一緒に出かけたのは、新宿で映画「インディ・ジョーンズ」を観た一度だけだったそうです。一方で、電話では頻繁に話していたと振り返っています。
若嶋津は口数が多いタイプではなく、高田さんが会話をリードすることも多かったとのこと。巡業や地方場所が続く力士と、多忙な歌手という立場では、気軽に会うこと自体が難しかったと考えられます。限られた時間の中で電話を重ね、互いの人柄を知っていったことが二人の関係を深めたのでしょう。
結婚の決め手は若嶋津の行動だった
プロポーズについて、高田さんは明確な言葉を覚えていないと説明しています。ただし、若嶋津が1984年の大阪場所で初優勝し、同年7月の名古屋場所で全勝優勝を果たした際、所属事務所の社長にあいさつに行ってもよいかと尋ねたことを振り返っています。
高田さんは、今になって考えると、それが結婚への意思表示だったのだろうと受け止めています。若嶋津が真剣に将来を考えていたことがうかがえるエピソードです。
二人は同じ鹿児島県出身という共通点も持っていました。出会いのきっかけは仕事でしたが、交際中の電話や若嶋津の誠実な行動が、結婚へと進む大きな要素になったとみられます。
【1985年の結婚】高田みづえが芸能界を引退した理由とは
高田みづえさんは1977年に「硝子坂」で歌手デビューしました。デビュー曲がヒットし、その後も「潮騒のメロディー」「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」などを発表。NHK紅白歌合戦にも複数回出場し、1980年代前半を代表する人気歌手の一人として活躍しました。
その人気の絶頂期にあたる1985年、若嶋津との婚約を発表。同年9月27日に結婚し、芸能界を引退しました。当時25歳だった高田さんにとって、歌手としての活動を終えることは大きな人生の転換点でした。
引退は結婚と新しい生活を選ぶための決断
高田さんは2025年のテレビ出演で、芸能界引退について、歌手活動と力士の妻としての生活を両立するのは難しいと考えていたことを明かしています。引退をためらう気持ちがまったくなかったわけではないものの、二つの生活を同時に続けることは現実的ではないと判断したのです。
つまり、高田さんの引退は、歌手としての人気がなくなったからでも、若嶋津との結婚を周囲から反対されたからでもありません。自身の人生の優先順位を決め、結婚後の生活に軸足を移す選択でした。
1985年に芸能界を去った高田さんは、その後、歌手としての表舞台から長く距離を置きます。若嶋津が1987年に現役を引退し、1990年に松ケ根部屋を創設すると、高田さんは相撲部屋のおかみとして新たな役割を担うことになりました。
【相撲部屋のおかみ】高田みづえが約32年間支えた夫の第二の人生
若嶋津は現役引退後、年寄・松ケ根を襲名し、1990年1月に松ケ根部屋を創設しました。高田さんは部屋のおかみとして、力士や関係者を支える立場に移ります。
相撲部屋のおかみは、単に力士の家族を見守る役割ではありません。部屋の運営を支え、力士たちが稽古や本場所に集中できる環境を整え、関係者とのつながりを保つことも求められます。人気歌手として表舞台に立っていた高田さんは、結婚後、こうした日々の仕事に長年取り組んできました。
歌手からおかみへ。生活の中心を大きく変えた
高田さんは、引退後に歌手時代の自分と相撲部屋のおかみとしての自分を意識的に分けていたことを語っています。部屋の千秋楽の祝賀会などでも、当初は周囲から歌手時代の名前で呼ばれたものの、自分の中では一線を引いていたそうです。
その後、若嶋津が部屋を持って約10年がたったころ、千秋楽の場で歌うようになりました。高田さんが夫に歌ってもよいかと尋ねると、若嶋津は喜んでくれたといいます。こうして「硝子坂」などを歌う機会が生まれ、部屋の関係者や力士たちに歌声を届けるようになりました。
ただし、これは一般のコンサート活動やテレビ出演への復帰とは異なります。高田さんの生活の中心はあくまで相撲部屋のおかみとしての仕事であり、歌唱は限られた場でのものでした。
夫の引退後も続いた夫婦の歩み
若嶋津は2022年に日本相撲協会の定年を迎え、高田さんも同じ時期におかみの役割を退きました。約32年間にわたった相撲部屋での生活に一区切りがついたのです。
2017年には若嶋津が路上で倒れ、頭部の手術を受けて療養生活を送ることになりました。高田さんはその後も夫を支え続けています。2026年10月24日のラジオ出演では、介護を経験した日々を振り返り、健康で当たり前に生活できることのありがたさを改めて感じたと語りました。
高田さんの歩みを振り返ると、芸能界引退は単なるキャリアの終わりではなく、家族と相撲部屋を支える長い生活の始まりだったことが分かります。
【夫婦の歩みを年表で整理】若嶋津の大関時代から2026年まで
若嶋津と高田みづえさんの関係を理解するうえでは、二人それぞれのキャリアと、夫婦としての生活の変化を時系列で見ると分かりやすくなります。
| 時期 | 出来事 | 夫婦・本人の歩み |
|---|---|---|
| 1977年 | 高田みづえが「硝子坂」で歌手デビュー | 歌手として人気を獲得し、紅白歌合戦にも出場 |
| 1982年 | 若嶋津が大関に昇進 | 「南海の黒ひょう」の愛称で人気を集める |
| 1984年 | 若嶋津が幕内で2度優勝 | 春場所で初優勝、名古屋場所では全勝優勝 |
| 1985年 | 二人が結婚 | 9月27日に挙式。同年、高田みづえは芸能界を引退 |
| 1987年 | 若嶋津が現役引退 | 年寄・松ケ根を襲名 |
| 1990年 | 松ケ根部屋を創設 | 高田みづえがおかみとして部屋を支える |
| 2017年 | 若嶋津が倒れ、頭部の手術を受ける | 療養生活を送り、高田みづえも夫を支える |
| 2022年 | 若嶋津が協会の定年を迎える | 高田みづえもおかみを退き、部屋での役割に一区切り |
| 2026年3月15日 | 若嶋津が69歳で死去 | 肺炎のため死去。高田みづえは夫を見送る |
| 2026年8月25日 | NHK「うたコン」に出演 | 「硝子坂」「私はピアノ」を披露し、11年ぶりの歌唱が話題に |
| 2026年10月24日 | ニッポン放送のラジオ番組に出演 | 41年ぶりの生出演で、夫への思いや今後の活動について語る |
この年表から見えてくるのは、二人の人生が大きく変わった節目が何度もあったことです。歌手と力士としてそれぞれ活躍した時代、結婚と引退、相撲部屋の運営、そして若嶋津の療養と死別。高田さんの人生は、そのたびに新しい役割を引き受ける形で進んできました。
【2026年3月15日の訃報】若嶋津六夫さんの本名・死因・大関時代
2026年3月15日、元大関・若嶋津で元二所ノ関親方の日高六男さんが、千葉県内の病院で肺炎のため亡くなりました。69歳でした。日本相撲協会が翌16日に公表し、各報道機関が訃報を伝えています。
若嶋津の本名は日高六男(ひだか・むつお)。1957年1月12日生まれで、鹿児島県熊毛郡中種子町、種子島の出身です。現役時代は188センチの長身と俊敏な取り口で知られ、「南海の黒ひょう」の愛称で親しまれました。
大関として2度の幕内優勝を達成
若嶋津は1975年春場所で初土俵を踏み、1981年初場所で新入幕。1982年九州場所後に大関へ昇進しました。1984年春場所では14勝1敗で初優勝を飾り、同年名古屋場所では15戦全勝で優勝。幕内優勝は通算2回です。
引退後は松ケ根部屋を創設し、親方として後進の育成に取り組みました。報道によると、小結・松鳳山ら複数の関取を育てています。現役時代の実績だけでなく、指導者として角界に残した功績も若嶋津の歩みを語るうえで欠かせない。
死去まで夫婦として歩み続けた二人
2017年に若嶋津が倒れて以降、療養生活は夫婦にとって大きな変化となりました。2026年3月15日の訃報では、高田さんが妻として伝えられ、葬儀では喪主を務めています。二人は1985年の結婚から死別まで、約41年間をともに歩みました。
訃報を受けて、高田さんは夫への感謝を伝えました。10月24日のラジオ出演でも、若嶋津と過ごした時間や介護の日々について触れています。長年の夫婦生活を美談だけで語るのではなく、困難な時期も含めて二人が積み重ねた時間として振り返っている点が印象的です。
【高田みづえの現在2026年最新】11年ぶりの歌唱と歌手復帰の可能性
2026年の高田みづえさんをめぐる大きな話題は、8月25日に放送されたNHK「うたコン」への出演です。「高田みづえ 一夜限りの復活SP」と題した番組で、高田さんは1977年のデビュー曲「硝子坂」と、1980年のヒット曲「私はピアノ」を披露しました。
1985年に芸能界を引退して以来、歌手としてのテレビ出演から長く離れていた高田さんにとって、今回の出演は大きな節目となりました。報道では11年ぶりの歌唱として紹介され、歌声を待ち続けていたファンからも反響が寄せられました。
「硝子坂」と「私はピアノ」を選んだ意味
「硝子坂」は高田さんのデビュー曲であり、歌手としての出発点を象徴する作品です。一方、「私はピアノ」はサザンオールスターズの楽曲をカバーしたヒット曲で、1980年に高田さんの代表曲の一つとなりました。
2026年8月の「うたコン」では、番組自体は生放送でしたが、歌唱シーンは7月下旬にNHKホールで収録されたものが放送されました。日刊スポーツの報道によると、高田さんは出演に向けて近所のカラオケで1日1時間ほど練習したと明かしています。長いブランクを経て再び歌うために準備を重ねたことがうかがえます。
番組では、夫の若嶋津さんへの思いも語られました。高田さんは出演のきっかけについて、夫の四十九日を終えたころに話が舞い込んできたことに触れ、若嶋津が自分を導いてくれたように感じていると話しています。
10月24日にはラジオに41年ぶりに生出演
さらに2026年10月24日、高田さんはニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に生出演しました。同局への出演は41年ぶりで、番組の冒頭からエンディングまで登場し、若嶋津との馴れ初めや歌手時代の思い出、相撲部屋のおかみとして過ごした日々について語りました。
番組内では、鹿児島の故郷を大切に思う気持ちや、周囲が喜んでくれることを何かできたらという思いも話しています。一方、紅白歌合戦への出場やコンサート開催など、本格的な歌手復帰を期待する声については、まだそのような気持ちにはなれないと慎重な姿勢を示しました。
高田さんは、若嶋津を亡くして気持ちが落ち込んだ時期に、一歩踏み出さなければという思いがあったことも語っています。表舞台に戻ることは、長年続けた歌手活動をそのまま再開するというより、新たな生活を歩き始めるための一歩でもあったようです。
歌手復帰は決定ではなく、本人の気持ちは慎重
2026年10月25日時点で、高田みづえさんの本格的な歌手復帰や全国コンサートの開催が決まったという発表はありません。「うたコン」出演とラジオへの生出演は確認できる動きですが、これらをもって継続的な芸能活動の再開が決定したと受け取るのは早計です。
高田さん自身は、復帰を望む声が届くことへの感謝を示しながらも、期待を寄せられることに怖さを感じるとも話しています。今後の活動を見守る際には、周囲の期待や憶測よりも、本人が公の場で語った言葉や、正式に発表された出演情報を判断の基準にすることが大切です。
【若島津高田みづえ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:若嶋津と高田みづえの馴れ初めは何ですか? A1:最初の出会いは新聞の取材・対談でした。相撲の支度部屋で紹介されたことがきっかけとなり、その後は電話で親交を深めました。高田さんによると、結婚前に一緒に出かけたデートは新宿で映画を観た一度だけだったそうです。
Q2:若嶋津と高田みづえが結婚したのはいつですか? A2:1985年9月27日です。高田さんは同年に芸能界を引退し、若嶋津の妻として新しい生活を始めました。
Q3:若嶋津六夫さんの本名と死因は何ですか? A3:本名は日高六男(ひだか・むつお)です。2026年3月15日、肺炎のため69歳で亡くなりました。日本相撲協会が翌16日に発表しています。
Q4:高田みづえさんは2026年に歌手復帰したのですか? A4:8月25日放送のNHK「うたコン」で11年ぶりに歌声を披露し、10月24日にはニッポン放送のラジオ番組にも41年ぶりに生出演しました。ただし、本人は本格的な歌手復帰について慎重な姿勢を示しており、継続的な活動の再開は決まっていません。
Q5:高田みづえさんは相撲部屋のおかみを何年間務めたのですか? A5:若嶋津が1990年に松ケ根部屋を創設してから、2022年に夫が定年を迎えるまで、約32年間にわたっておかみを務めました。
Q6:高田みづえさんの長女アイリさんはどんな人ですか? A6:アイリさんは、若嶋津と高田みづえさんの長女で、モデルや俳優として活動しています。2021年に結婚し、2024年には第1子となる女児の出産を公表。2026年2月には第2子の妊娠を報告したと、テレビ朝日などが伝えています。
まとめ:若嶋津と高田みづえ、夫婦の歩みと2026年の現在
若嶋津と高田みづえさんは、新聞の取材をきっかけに出会い、電話で親交を深め、1985年に結婚しました。人気歌手だった高田さんは芸能界を引退し、夫の現役引退後は約32年間にわたって相撲部屋のおかみを務めました。二人の歩みは、歌手と力士という異なる世界で活躍した男女が、結婚後は互いの人生を支え合ってきた歴史でもあります。
2026年3月15日に若嶋津さんが亡くなったことで、長年続いた夫婦の生活は終わりを迎えました。しかし、8月の「うたコン」での歌唱と10月のラジオ生出演を通じて、高田さんは少しずつ公の場に姿を見せています。
現時点では、歌手活動の本格的な再開は決まっていません。だからこそ、2026年の動向を追う際は、出演が実現した事実と、今後への期待を分けて捉えることが大切です。高田さんがどのようなペースで新しい生活を築いていくのか、そして再び歌声を届ける機会が訪れるのか。本人の意思を尊重しながら、これからの歩みを見守りたいところです。