木樽正明(きたる・まさあき)は、1947年6月13日生まれ、千葉県銚子市出身の元プロ野球投手です。東京オリオンズ、ロッテ・オリオンズで活躍し、通算112勝を記録。1970年にはシーズンMVP、1971年には最多勝利のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝を支えました。
現役引退後も、ロッテの投手コーチや二軍監督、球団のスカウト、読売ジャイアンツの編成・育成部門、母校・銚子商業高校での指導など、さまざまな立場から野球に携わってきました。2026年には、堀内恒夫氏との対談記事も掲載されています。NPB公式記録を中心に、木樽正明の生年月日や経歴、年度別成績、引退後の歩み、現在の動向まで整理します。
【プロフィール】木樽正明の読み方・生年月日・出身地は?

木樽正明の名前は「きたる・まさあき」と読みます。「木樽」は「きたる」と読む珍しい姓で、プロ野球の歴史を調べる際にも読み方を確認したい人物の一人です。
日本野球機構(NPB)の個人年度別成績に掲載されているプロフィールによると、1947年6月13日生まれで、出身地は千葉県。高校は千葉県立銚子商業高校です。投打は右投右打、身長182センチ、体重82キロと記録されています。
2026年10月26日時点では79歳です。現役時代は東京オリオンズとロッテ・オリオンズでプレーし、1976年に現役を引退しました。
木樽正明を理解するうえで押さえておきたいのは、単に長く在籍した投手ではなく、1970年代前半のチームを代表する実績を残した選手だという点です。1970年の21勝とシーズンMVP、1971年の24勝と最多勝利は、そのキャリアを象徴する数字です。
【経歴】銚子商業高校から東京オリオンズへ進んだ道のり
木樽正明は、銚子商業高校時代から実力を認められた投手でした。週刊ベースボールONLINEの選手紹介によると、1965年夏の全国高等学校野球選手権大会で銚子商業高校のエースとして準優勝を経験しています。
同年秋には、日本プロ野球の第1回ドラフト会議が開催されました。木樽は東京オリオンズから2位指名を受け、翌1966年にプロ入り。高校野球での実績を背景に、18歳でプロの世界へ進みました。
入団当初の球団名は東京オリオンズです。1969年からロッテ・オリオンズとなり、木樽は1976年まで11年間にわたって同球団でプレーしました。現在の千葉ロッテマリーンズにつながる球団史をたどるうえでも、東京オリオンズからロッテ・オリオンズへと移り変わった時代の主力投手として位置づけられます。
木樽の経歴には、同じ第1回ドラフトで指名された堀内恒夫氏との接点もあります。2026年9月27日付の週刊ベースボールONLINEでは、巨人に1位指名された堀内氏と、東京オリオンズに2位指名された木樽の対談が掲載されました。2人がプロ入りした1965年のドラフトを振り返る内容で、当時の球団の指名戦略や、選手本人が把握していなかった舞台裏も話題になっています。
この対談は、木樽の現役時代の記録だけでなく、日本プロ野球のドラフト制度が始まった時期の歴史を知る手がかりにもなります。
【年度別成績】NPB公式記録で見る木樽正明の通算112勝
木樽正明の投手成績を確認する際に基準となるのが、NPB公式サイトの「個人年度別成績」です。同サイトの投手記録によると、木樽のプロ通算成績は367試合登板、112勝80敗3セーブ、防御率3.05。投球回は1610回、奪三振は841です。
以下は、NPB公式記録に掲載された年度別の投手成績をまとめたものです。球団名は当時の表記に合わせ、勝敗、防御率、投球回、奪三振を並べました。
| 年度 | 所属球団 | 登板 | 勝敗 | 防御率 | 投球回 | 奪三振 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1966年 | 東京 | 17 | 3勝8敗 | 3.00 | 78回 | 32 |
| 1967年 | 東京 | 44 | 8勝8敗 | 2.53 | 146回 | 90 |
| 1968年 | 東京 | 5 | 0勝1敗 | 5.79 | 14回1/3 | 11 |
| 1969年 | ロッテ | 51 | 15勝9敗 | 1.72 | 162回 | 70 |
| 1970年 | ロッテ | 42 | 21勝10敗 | 2.53 | 278回 | 161 |
| 1971年 | ロッテ | 47 | 24勝8敗 | 3.45 | 266回 | 168 |
| 1972年 | ロッテ | 37 | 9勝7敗 | 3.88 | 123回 | 78 |
| 1973年 | ロッテ | 44 | 14勝7敗 | 2.84 | 165回1/3 | 88 |
| 1974年 | ロッテ | 36 | 13勝6敗 | 3.09 | 201回 | 85 |
| 1975年 | ロッテ | 30 | 5勝14敗 | 3.96 | 140回2/3 | 44 |
| 1976年 | ロッテ | 14 | 0勝2敗 | 5.50 | 35回2/3 | 14 |
| 通算 | 東京・ロッテ | 367 | 112勝80敗 | 3.05 | 1610回 | 841 |
出典:日本野球機構(NPB)公式サイト「個人年度別成績」。投球回の「1/3」「2/3」は、それぞれアウト1つ分、2つ分を表します。通算のセーブ数は3です。
年度別の数字を追うと、木樽が一時的な好成績に終わらず、複数年にわたってチームの投手陣を支えたことが分かります。1969年は防御率1.72で最優秀防御率のタイトルを獲得。1970年は278投球回、21勝を記録し、翌1971年には24勝で最多勝利に輝きました。
一方、1975年は5勝14敗、1976年は0勝2敗と、キャリア終盤には成績が落ち込んでいます。通算112勝という結果だけでなく、最盛期の圧倒的な稼働量と、引退に至るまでの変化を合わせて見ることが、木樽の投手人生を正確に捉えるポイントです。
【投手時代】1970年のMVPと1971年の最多勝、1974年の復活
木樽正明の現役時代を語るうえで、特に重要なのが1969年から1974年にかけての活躍です。千葉ロッテマリーンズ公式サイトの球団企画「70周年チャンピオンシリーズ」に掲載されたプロフィールでは、木樽の持ち味として、ストレートと切れ味鋭いシュートが紹介されています。
シュートは、右投手の場合、右打者の内角方向へ食い込むように変化する球種です。ストレートとの組み合わせによって打者の芯を外し、ゴロを打たせる投球にもつながります。木樽の通算成績を理解する際には、勝利数だけでなく、長い投球回を投げ続けたことも注目です。
1970年は21勝10敗、防御率2.53。 278回を投げ、161奪三振を記録しました。リーグ優勝に貢献し、シーズンMVPと投手部門のベストナインに選出されています。年間を通じた登板と投球内容の両面で評価されたシーズンでした。
1971年は24勝8敗、勝率.750。 47試合に登板して168奪三振を記録し、最多勝利のタイトルを獲得しました。24勝は木樽のキャリアで単年最多の勝利数です。1970年のMVPに続き、翌年もリーグを代表する投手として結果を残しました。
1974年には、思わぬアクシデントにも見舞われています。千葉ロッテマリーンズ公式サイトによると、オープン戦で打球が顔面に当たり、顔面骨折の重傷を負いました。それでも1か月足らずで復帰し、シーズン13勝を挙げてリーグ優勝と日本一に貢献しています。
1974年の成績は36試合登板、13勝6敗、防御率3.09。通算成績だけでは伝わりにくい、故障からの復帰とチームへの貢献を示すシーズンです。1970年のMVP、1971年の最多勝、1974年の復活という3つの節目を押さえると、木樽の現役時代がより立体的に見えてきます。
【引退後】ロッテのコーチ・二軍監督から巨人の編成・育成部門へ
木樽正明は1976年、29歳で現役を引退しました。選手としてのキャリアは11年間でしたが、その後も指導者や球団スタッフとして野球界に関わり続けています。
オリオンズ&マリーンズの球団史を扱う資料や、千葉ロッテマリーンズ公式サイトのプロフィールによると、木樽は1983年にロッテのコーチとして球団に復帰し、1988年まで指導を担当。1989年から1990年には二軍監督を務めました。二軍監督は一軍の監督とは異なり、若手選手の育成や一軍戦力への引き上げを担う役職です。
その後は球団のスカウト部門などを経験し、2002年から2010年にかけては読売ジャイアンツの編成部門や育成担当コーチなどを歴任しました。選手として実績を残すだけでなく、獲得候補の評価や若手育成といった、チームづくりを支える仕事にも携わったことが特徴です。
2011年から2013年にはJFE東日本硬式野球部のヘッドコーチを務め、2014年には母校の銚子商業高校野球部でコーチに就任しました。千葉ロッテマリーンズ公式サイトでは、2020年3月まで銚子市の行政アドバイザーとしても活動し、母校での指導と並行して小中学生の野球チームなどの指導にあたっていたことが紹介されています。
この歩みからは、木樽の野球人生が現役引退で終わっていないことが分かります。プロ球団の指導者、二軍監督、スカウト、育成部門、社会人野球、高校野球、地域の野球指導と、経験を生かす場を広げてきました。
【現在・2026年最新情報】木樽正明は今どうしている?
2026年に確認できる新しい話題の一つが、9月27日付の週刊ベースボールONLINEに掲載された、堀内恒夫氏との対談です。特集では1965年の第1回ドラフトを振り返り、巨人1位の堀内氏と東京オリオンズ2位の木樽が、当時の指名をめぐる経緯やドラフト制度が始まった時代の記憶を語っています。
この対談は、現役時代の記録を振り返るだけでなく、プロ野球のドラフト史を知るうえでも興味深い内容です。ドラフト制度が始まったばかりの時期には、選手本人にも球団間の情報や指名の舞台裏が十分に伝わっていなかったことが、対談からうかがえます。
一方、木樽の現在の活動については、過去の公式プロフィールに掲載された指導歴と、2026年のメディア登場を分けて捉える必要があります。銚子市の行政アドバイザーとしての活動は2020年3月までと紹介されていますが、その後の役職について、2026年10月時点で現職の監督やコーチとしての所属を明確に示す最新の公式プロフィールは見当たりません。
したがって、2026年現在の木樽について確実に紹介できるのは、プロ通算112勝を記録した元投手であり、ロッテや巨人などで指導・編成業務を経験し、2026年9月にはドラフト史を振り返る対談記事に登場した人物だということです。過去の指導実績を、そのまま現在の役職として紹介しないことが、近況を正しく理解するためのポイントです。
【木樽正明】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:木樽正明の読み方と生年月日は?
A1:読み方は「きたる・まさあき」です。1947年6月13日生まれで、2026年10月26日時点では79歳です。
Q2:木樽正明の出身地と出身高校は?
A2:千葉県銚子市出身で、千葉県立銚子商業高校を卒業しています。1965年夏の甲子園では、銚子商業高校のエースとして準優勝を経験しました。
Q3:木樽正明のNPB通算成績は?
A3:NPB公式記録では367試合登板、112勝80敗3セーブ、防御率3.05、1610投球回、841奪三振です。1970年にはシーズンMVP、1971年には最多勝利を獲得しました。
Q4:木樽正明はロッテの監督を務めたことがある?
A4:1989年から1990年にロッテの二軍監督を務めています。一軍監督ではなく、主に若手選手の育成を担う二軍の監督職です。
Q5:木樽正明は2026年現在、何をしている?
A5:2026年9月27日には堀内恒夫氏との対談記事が掲載されました。過去には高校野球や地域の野球指導にも携わっていますが、2026年10月時点の現職については、最新の公的なプロフィールから明確に特定できません。
Q6:木樽正明が獲得した主なタイトルは?
A6:1969年の最優秀防御率、1970年のシーズンMVPとベストナイン(投手)、1971年の最多勝利が主な実績です。1970年と1974年のロッテのリーグ優勝にも貢献しました。
まとめ:木樽正明の112勝が示す実績と野球人生
木樽正明は、千葉県銚子市からプロ野球の世界へ進み、東京オリオンズ、ロッテ・オリオンズで通算112勝を挙げた右投手です。1970年のシーズンMVP、1971年の最多勝利、そして1974年の故障からの復帰と日本一への貢献は、現役時代を象徴する出来事です。
NPB公式記録を年度別に見ると、最盛期の勝利数だけでなく、投球回や奪三振、キャリア終盤の成績の変化まで把握できます。また、引退後にはコーチや二軍監督、スカウト、編成・育成部門などを経験し、高校野球や地域の指導にも携わってきました。
2026年の対談記事は、木樽の歩みをドラフト制度の歴史と結びつけて振り返る機会にもなっています。木樽正明の野球人生を調べる際は、NPBの年度別成績で選手としての実績を確認し、球団公式プロフィールや信頼できる野球専門メディアで、引退後の経歴と近況を補うと、記録と人物像の両面から理解を深められます。