2026年現在、元小結・豊真将は現役力士を引退し、錣山部屋の師匠として後進の育成と部屋の運営を担っています。 現役時代は、力強い相撲に加え、土俵上の礼儀正しい所作でも知られた力士です。2015年に右膝の大けがを理由に現役を退いた後、長年仕えた師匠・寺尾の教えを受け継ぎ、2024年2月には錣山部屋を正式に継承しました。
日本相撲協会の公式プロフィールや部屋紹介、引退当時の報道をたどると、豊真将の歩みには、力士としての実績だけでなく、師弟関係や相撲部屋の伝統を次世代へつなぐという重要な側面が見えてきます。現在の親方としての立場、本名や経歴、引退理由、阿炎との関係まで、2026年10月時点の情報を整理します。
【豊真将の現在】2026年は錣山部屋の師匠として相撲界を支える

2026年10月現在、豊真将は現役時代の四股名ではなく、年寄「錣山(しころやま)」として活動しています。
日本相撲協会の年寄プロフィールでは、錣山矩幸(しころやま・つねゆき)として掲載されています。本名は山本洋介。1981年4月16日生まれで、2026年10月時点では45歳です。
現役引退後に年寄名跡「立田川」を襲名し、錣山部屋付きの親方として後進を指導してきました。その後、先代師匠の死去を受けて部屋を継承し、現在は自らが部屋を率いる立場になっています。
現在の主な役割
豊真将の仕事は、力士に相撲の技術を教えることだけではありません。
- 稽古の指導: 四股や基本動作、立ち合い、組み手など、力士として必要な基礎を指導する。
- 弟子の育成: 力士それぞれの力量や課題を踏まえ、番付の向上と競技生活を支える。
- 部屋の運営: 師匠として、所属力士が本場所に向けて稽古に集中できる環境を整える。
- 伝統の継承: 寺尾から受け継いだ相撲への姿勢や礼儀を、次の世代へ伝える。
日本相撲協会の錣山部屋紹介には、幕内力士の阿炎をはじめとする所属力士が掲載されています。豊真将は、こうした力士たちを指導する部屋の責任者です。
ここで押さえておきたいのは、「豊真将」という四股名で現役を続けているわけではないという点です。現在の立場を調べる際は、現役力士のプロフィールと、年寄としてのプロフィールを区別すると分かりやすくなります。
【経歴・プロフィール】本名は山本洋介、最高位は小結
豊真将は、1981年4月16日に生まれ、山口県下関市で育ちました。日本相撲協会の公式プロフィールによると、身長186センチ、体重145キロ。得意技は右四つと寄りです。
学生相撲を経験した後、大学を中退して一度は相撲の道から離れましたが、錣山親方(元関脇・寺尾)との出会いをきっかけに大相撲へ進みます。2004年3月場所で初土俵を踏み、2006年には十両、幕内へと昇進。2011年11月場所には新三役となり、小結まで上り詰めました。
豊真将の基本プロフィール
日本相撲協会公式プロフィールを基に整理
- 本名:山本洋介
- 四股名:豊真将紀行(ほうましょう・のりゆき)
- 出身地:山口県下関市
- 生年月日:1981年4月16日
- 初土俵:2004年3月場所
- 最高位:小結
- 引退場所:2015年1月場所
- 現在の年寄名:錣山矩幸
豊真将の経歴を年表で整理
経歴で注目したいのは、大学を中退して相撲から離れかけた後、錣山親方との縁によって大相撲へ進んだことです。最初から順風満帆だったわけではなく、進路の転換を経て最高位の小結に到達しました。
その経験は、現役引退後に後進を指導する立場になった豊真将の歩みを理解するうえでも大切です。
【戦歴・成績】最高位は小結、三賞7回の実績
豊真将の現役時代を数字で見ると、幕内で長く戦い続けた実績が際立ちます。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は415勝344敗109休、65場所。幕内戦歴は309勝304敗77休で、幕内在位は46場所でした。
主な成績は次のとおりです。
- 最高位:小結
- 生涯戦歴:415勝344敗109休
- 幕内戦歴:309勝304敗77休
- 十両優勝:1回
- 三段目優勝:1回
- 敢闘賞:5回
- 技能賞:2回
- 殊勲賞:0回
- 幕内最高優勝:0回
三賞は合計7回。幕内最高優勝こそありませんが、敢闘賞5回、技能賞2回という数字は、土俵での粘りや技能が評価されてきたことを示しています。
豊真将の相撲は何が強みだったのか
日本相撲協会のプロフィールに記載された得意技は「右四つ・寄り」です。相手と組み合い、体勢を整えてから寄り切る相撲を持ち味としていました。
決まり手の傾向では、押し出しが38%、寄り切りが25%とされています。これは公式プロフィールに掲載された決まり手データに基づく数値です。
また、豊真将は勝敗だけでなく、土俵上の所作や礼儀正しさでも評価されてきました。派手なパフォーマンスよりも、基本に忠実な相撲と真摯な姿勢が印象に残る力士だったといえます。
最高位が横綱や大関でなかったことだけを理由に、実績を小さく評価するのは適切ではありません。長い幕内在位と複数回の三賞受賞は、安定して高いレベルで戦った証しです。
【引退理由】2014年の右膝の大けがから復帰できなかった
豊真将の引退理由を理解するうえで欠かせないのが、2014年7月の名古屋場所です。
日刊スポーツやデイリースポーツの当時の報道によると、豊真将は名古屋場所5日目の横綱・日馬富士戦で押し倒された際、右膝に重傷を負いました。同年8月2日に手術を受け、復帰に向けたリハビリを続けましたが、再び土俵に立つことはできませんでした。
引退までの経緯
2014年7月、右膝を負傷。手術とリハビリを経ても復帰が難しい状態が続きました。休場が重なり、番付は幕下まで下がります。
同年12月23日、豊真将は師匠の錣山親方に引退の意向を伝えました。そして2015年1月16日、初場所6日目に日本相撲協会へ引退届を提出。引退場所は2015年1月場所となりました。
引退会見では、復帰を目指してきたものの、土俵に立つ力がないと判断した旨を説明しています。当時の報道では、本人が体力の限界を理由に挙げたことも伝えられました。
つまり、引退理由は単に年齢や番付の低下ではありません。右膝の重傷と、その後も回復せず、本場所で相撲を取れる状態に戻れなかったことが決定的な要因でした。
引退を決めた背景にあったもの
豊真将は、幕下まで番付を下げても復帰を目指していました。それでも現役続行を断念したのは、力士として土俵に立てるかどうかを自ら判断した結果です。
引退会見では、応援してくれた人々に再び相撲を取る姿を見せられないことへの寂しさも語っています。
現役時代の豊真将は、けがや困難を抱えながらも土俵に向かう姿勢で知られました。しかし、相撲は相手とぶつかり合う競技であり、膝のような重要な関節の重傷は、競技生活そのものを左右します。
この引退は、本人の意欲が失われたからというより、復帰を目指す努力を続けた末に、競技者としての限界を受け入れた決断と見るべきでしょう。
【寺尾との関係】恩師の教えを受け継ぎ、錣山部屋を継承
豊真将を語るうえで、師匠だった元関脇・寺尾との関係は外せません。
寺尾は、錣山親方として2004年に錣山部屋を創設した人物です。豊真将はその弟子として入門し、同部屋から初めて関取となった力士でした。
日刊スポーツなどの報道によると、豊真将は学生時代に相撲を経験した後、大学を中退。一度は相撲の道を離れましたが、寺尾との出会いをきっかけに再び大相撲を志しました。
2015年の引退会見で豊真将が思い出として挙げたのは、新弟子検査の際に師匠から掛けられた「ここから2人で頑張ろう」という言葉でした。
この言葉は、単に技術を教わる関係を超え、師弟が一緒に相撲人生を歩み始めたことを象徴しています。
寺尾が評価した豊真将の姿勢
デイリースポーツの引退当時の報道では、寺尾は豊真将について、礼儀を重んじる姿勢を高く評価していました。
現役時代の豊真将は、勝敗だけでなく、土俵に上がる際の所作や取組後の振る舞いでも注目されていました。こうした姿勢は、寺尾が指導してきた相撲への向き合い方と重なります。
豊真将にとって寺尾は、入門のきっかけを与えた人物であると同時に、力士としての基礎を築いた恩師でした。
2024年2月23日、錣山部屋を正式に継承
2023年12月17日、寺尾が60歳で死去しました。先代師匠を失った錣山部屋では、部屋付き親方だった立田川親方、すなわち元小結・豊真将が後継者となる見通しが報じられました。
豊真将は2024年1月場所で師匠代行を務めた後、同年2月23日、日本相撲協会の理事会で年寄「錣山」の襲名と部屋継承を承認されました。
これにより、錣山部屋は寺尾が築いた部屋から、弟子だった豊真将が率いる部屋へと引き継がれました。
部屋の継承は、単に親方の名前を変更することではありません。所属力士の稽古環境や本場所への出場、日常生活を支える体制を維持しながら、指導者としての責任を引き受けることを意味します。
豊真将の現在を理解する最大の要点は、寺尾の弟子として育った人物が、今度は師匠として次の世代を育てる立場になったことです。
【阿炎との関係・人柄】礼儀を重んじる指導者としての役割
豊真将と阿炎の関係は、錣山部屋の師匠と所属力士という関係です。
阿炎は、寺尾が率いていた時代から錣山部屋に所属してきた幕内力士です。豊真将が部屋を継承したことで、阿炎を含む所属力士たちは、新たな師匠のもとで稽古を続けることになりました。
日本相撲協会の錣山部屋紹介でも、阿炎は所属力士として掲載されています。豊真将にとっては、自らが学んできた相撲の技術や精神を、実績のある関取から若手力士まで、それぞれの段階に応じて伝えていくことが重要な役割となります。
ただし、師匠と力士の関係を理解する際には、部屋全体の指導体制と、特定の力士との個人的な関係を混同しないことも大切です。公表された情報から確認できるのは、阿炎が錣山部屋の所属力士であり、豊真将がその師匠を務めているということです。
豊真将の人柄・評判をどう見るべきか
豊真将の人柄を考える際、現役時代の評価として繰り返し報じられてきたのが、誠実な土俵態度と礼儀正しい所作です。
これは単なるイメージだけではありません。引退時の報道では、師匠の寺尾が豊真将の礼儀を重んじる姿勢を評価していました。本人も引退会見で、師匠から教わった相撲を最後まで取り切れたことを振り返っています。
こうした経歴からは、豊真将が競技者としての技術だけでなく、相撲に臨む姿勢を大切にしてきたことがうかがえます。
一方で、現役時代の評判をそのまま現在の指導実績の評価に置き換えることはできません。師匠としての力量は、弟子の育成や部屋の運営など、長期的な活動を通じて見ていく必要があります。
【プロの結論】豊真将を評価する3つの視点
豊真将の歩みを理解するには、次の3点を分けて考えると全体像がつかみやすくなります。
- 力士としての実績: 最高位は小結。生涯415勝を挙げ、三賞を7回受賞した。
- 引退の背景: 右膝の重傷から復帰できず、2015年に現役を退いた。引退は本人の復帰への意欲がなかったことを意味しない。
- 親方としての現在: 寺尾の教えを受け継ぎ、2024年に錣山部屋を継承。現在は部屋の指導と運営を担っている。
この3つを混同しないことが、豊真将という人物を正しく理解するための判断基準です。現役時代の最高位だけで評価を決めるのでも、師匠を継承したという事実だけで指導者としての実績を判断するのでもなく、競技者としての実績と、引退後に担ってきた役割の両方を見る必要があります。
【豊真将】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:豊真将は2026年現在、何をしていますか?
A1:年寄「錣山」として錣山部屋の師匠を務めています。現役引退後は部屋付き親方として後進を指導し、2024年2月に部屋を正式に継承しました。
Q2:豊真将の引退理由は何ですか?
A2:2014年7月の名古屋場所で右膝に重傷を負い、手術とリハビリを続けても復帰できなかったためです。2015年1月16日に引退届を提出しました。
Q3:豊真将と寺尾はどのような関係でしたか?
A3:寺尾は豊真将の師匠です。錣山部屋への入門をきっかけに関係が始まり、寺尾の指導のもとで小結まで昇進しました。寺尾の死去後は、豊真将が錣山部屋を継承しています。
Q4:豊真将の本名と出身地は?
A4:本名は山本洋介、出身地は山口県下関市です。1981年4月16日生まれで、2026年10月時点では45歳です。
Q5:豊真将の最高位と主な成績は?
A5:最高位は小結です。生涯戦歴は415勝344敗109休で、敢闘賞5回、技能賞2回を受賞しています。幕内最高優勝はありませんが、幕内在位46場所という実績があります。
Q6:豊真将と阿炎はどのような関係ですか?
A6:阿炎は錣山部屋に所属する力士で、豊真将はその師匠です。豊真将は阿炎を含む所属力士の指導と、部屋全体の運営を担っています。
まとめ:豊真将の現在を知る鍵は、現役時代から師匠への継承にある
豊真将は、山口県下関市出身の元小結で、本名は山本洋介。2015年に右膝の重傷によって現役を引退しましたが、その後も相撲界に残り、後進の指導に携わってきました。
そして2024年2月23日、師匠だった寺尾が築いた錣山部屋を正式に継承。2026年現在は年寄「錣山」として、阿炎ら所属力士の指導と部屋の運営を担っています。
豊真将の歩みには、力士としての実績、けがによる引退、師匠との深い結び付き、そして指導者への転身という複数の転換点があります。なかでも重要なのは、現役時代に寺尾から教わったことを、今度は自分が師匠として伝える立場になったことです。
豊真将の現在をひと言で表すなら、元小結としての経験を生かし、寺尾の教えと錣山部屋の伝統を次の世代へつなぐ親方です。 今後の活動を知る際には、日本相撲協会の年寄プロフィールや錣山部屋の公式紹介を確認することで、現役時代の記録と現在の役割を区別して理解できます。