『難波金融伝・ミナミの帝王』の萬田銀次郎役で知られる俳優・竹内力。鋭い眼光と迫力ある演技から、金融の世界に精通した人物という印象を持つ人も多いかもしれない。しかし、俳優になる前の竹内力は、実際に銀行の窓口で働いていた元銀行員だ。勤務先は、現在の三菱UFJ銀行につながる旧三和銀行の大阪・淡路支店。高校教師の推薦で入行し、リーゼント姿で接客しながら、定期預金の契約件数で全国1位を記録したという異色の経歴を持つ。
テレビ朝日系のインタビュー企画「テレ朝POST」やENCOUNT、ORICON NEWS、Smart FLASHなどの報道をたどると、銀行員時代の勤務期間や退職の経緯、札勘定を習得した背景が見えてくる。加えて、2026年には主演シリーズ『欲望の街』の新作も展開されている。銀行員として身につけた技術が、どのように俳優・製作者としてのキャリアにつながったのか、本人のインタビューと作品情報をもとに整理する。
【経歴の真相】竹内力は旧三和銀行の大阪・淡路支店で働いていた

竹内力は1964年1月4日、大分県佐伯市生まれ。高校卒業後に大阪へ移り、都市銀行だった三和銀行に入行した。配属先は大阪市東淀川区の淡路支店である。現在の銀行名でいえば三菱UFJ銀行につながる経歴だ。
入行のきっかけについては、本人が2017年の映画『王様のためのホログラム』のPRイベントなどで説明している。高校時代の担任教師が就職を強く勧め、推薦によって銀行への道が開けたという。本人は高校卒業後の進路について、教師の後押しが大きかったことを振り返っている。
教師が勧めた背景には、竹内の将来を考えた進路指導があった。本人のテレビ朝日系インタビューによると、就職先の候補のなかでも都市銀行は給与やボーナスの条件がよく、親に仕送りをしたいという思いも入行の理由になったという。最初から俳優を目指して銀行に入ったわけではなく、当時は一般企業への就職という現実的な選択をしていた。
勤務先の淡路支店は、現在も三菱UFJ銀行の店舗案内に掲載されている。同行の公式店舗情報では、大阪府大阪市東淀川区淡路4丁目に淡路支店があることを確認できる。旧三和銀行から現在の銀行名へと変わった歴史を考えると、竹内の経歴は銀行業界の再編とも結びついている。
勤務期間については、報道やプロフィールによって「約2年」「2年2カ月」「2年半」といった表現の違いがある。テレビ朝日系の本人インタビューでは「2年2カ月」という具体的な期間が語られているため、銀行員時代を詳しく知りたい読者は、この本人談を基準に理解するとよい。
【リーゼントで全国1位】銀行員時代の営業成績が抜群だった理由
竹内力の銀行員時代を語るうえで欠かせないのが、リーゼント姿で窓口に立っていたというエピソードだ。一般的な銀行員のイメージとは大きく異なる髪型だったが、本人は高校時代からのスタイルを勤務中も変えなかった。
2017年のORICON NEWSやデイリースポーツの報道によると、竹内は当時の服装について、スーツらしきものを羽織りながらネクタイを着けず、袖をまくって働いていたと振り返っている。上司から髪型について注意されても、簡単には変えなかったという。
それでも営業成績は優秀だった。ENCOUNTが2023年に掲載した本人インタビューでは、定期預金の契約件数で全国1位になったと語っている。ここで押さえたいのは、全国1位という実績が、定期預金の契約件数についてのものだという点だ。銀行のあらゆる業務で全国トップだったという意味ではない。
では、なぜ個性的な髪型の若手行員が、そこまでの成果を出せたのか。本人の説明から浮かび上がるのは、専門知識を誇示する営業ではなく、顧客との距離を縮める実践的な接客だった。
竹内は、店頭で客を呼び込むような声かけをし、来店した客に粗品を渡す工夫をしていたと説明している。ポケットティッシュだけではなく、より魅力のある粗品を用意してもらい、顧客の関心を引いたという。来店した客が家族や知人に話を広げることで、新たな顧客の来店にもつながった。
Smart FLASHが2019年に紹介したエピソードでは、リーゼント姿を見た女性客から、息子に似ていると言われたこともあったという。本人は、そうした親近感が定期預金の契約につながったと振り返っている。
つまり、営業成績の背景にあったのは、髪型そのものの珍しさだけではない。人の目を引き、会話を生み、商品に関心を持ってもらうという一連の行動だ。銀行の窓口で身につけた顧客対応力は、後年に俳優や映像製作者として活動する際にも役立ったと考えられる。
【札勘定の秘密】銀行で覚えた技術が『ミナミの帝王』に生きた
竹内力の銀行員時代が現在も繰り返し話題になる理由は、営業成績だけではない。大量の紙幣を手際よく数える「札勘定」の技術が、代表作『難波金融伝・ミナミの帝王』の印象的な場面に直結しているからだ。
竹内は銀行員として現金を扱う仕事を経験し、紙幣を扇状に広げながら数える技術を習得した。2019年のSmart FLASHの報道では、独身寮で2〜3カ月練習したという本人の説明が紹介されている。つまり、札勘定は生まれつきの特技というより、仕事のなかで繰り返し練習して身につけた技能だった。
この経験が大きく生きたのが、1992年から2007年まで展開されたVシネマシリーズ『難波金融伝・ミナミの帝王』である。竹内が演じた萬田銀次郎は、金銭をめぐる人間模様や金融トラブルに向き合う人物。紙幣を数える動作は、役柄の説得力を支える視覚的な要素になった。
ENCOUNTの2023年のインタビューでも、竹内は銀行員時代に身につけた技術が、作品内の札勘定に役立ったことを語っている。演技のために一から練習したのではなく、実際の職業経験が画面上の動きに反映されたわけだ。
ここには、映像表現における実体験の強みがある。紙幣を数える手つきや動作のテンポは、台本上の説明だけでは十分に伝えにくい。実務を知る俳優であれば、細かな所作を自然に演じられる。観客が萬田銀次郎の仕事ぶりに現実味を感じる理由の一つには、竹内自身の銀行員経験がある。
加えて、竹内が主演・製作を務める『欲望の街』でも、札勘定の技術は作品のイメージを引き継ぐ要素になっている。ライブドアニュースに掲載された本人インタビューでは、新シリーズを作る際、従来の『ミナミの帝王』を知るファンの期待に応えるため、金融屋から事件師へと主人公の設定を変えながらも、札勘定などの要素を残したことが語られている。
これは、過去の人気キャラクターをそのまま再現するだけでなく、観客が求める象徴的な要素を見極め、新しい作品に受け継ぐ工夫だ。銀行員時代の経験は、演技上の技術にとどまらず、作品を企画・製作する立場になった竹内の判断にもつながっている。
【銀行を辞めた理由】上京から1986年の俳優デビューまで
全国1位の営業成績を残した竹内力だが、銀行員として長く勤め続ける道は選ばなかった。ENCOUNTの本人インタビューでは、銀行員の生活は自分の性分に合わず、退職後に上京してアルバイトをしていたところを芸能事務所にスカウトされたと説明している。
テレビ朝日系のインタビューでは、本人が辞めたいと申し出ても、営業成績がよかったため、すぐには退職させてもらえなかったという趣旨のエピソードも紹介された。支店長から髪型について注意されるたびに辞める意思を示していたものの、最終的には2年2カ月ほど勤務したという。
したがって、銀行を辞めた理由を、営業成績が悪かったから、あるいは銀行側から解雇されたからと理解するのは正確ではない。本人の説明からは、仕事そのものが性格に合わなかったことや、より自由な環境を求めていたことが読み取れる。
退職後は上京し、アルバイトをしていた時期に芸能界との接点が生まれた。プロフィールや芸能報道では、ライブハウスで働いていた際にスカウトされた経緯も紹介されている。銀行から俳優へと転身した背景には、計画的な芸能界入りというより、仕事を辞めて新しい環境に移った先での出会いがあった。
転機となったのが1986年の映画デビューだ。竹内は大林宣彦監督の『彼のオートバイ、彼女の島』で主演級の役を務め、青春映画の二枚目俳優としてキャリアをスタートさせた。KADOKAWAの作品情報でも、同作は1986年4月26日公開と記録されている。同年公開の『キャバレー』にも出演し、映画界での活動を本格化させた。
ただし、俳優になった当初から、現在の強面のイメージが確立していたわけではない。ENCOUNTのインタビューで竹内は、若手時代に上品な青年役を演じることが苦手だったと振り返っている。自分がより自然に表現できる、やんちゃな人物やアウトローの役へと活動の軸を移していったことが、のちの代表作につながっていく。
【年表で整理】竹内力の銀行員時代から2026年の最新活動まで
銀行員時代から現在までの歩みを時系列で見ると、竹内力のキャリアは、銀行勤務、映画デビュー、Vシネマでの代表作確立、そして自ら作品を製作する立場へと広がってきたことが分かる。
| 時期 | 出来事 | 経歴上のポイント |
|---|---|---|
| 1964年1月4日 | 大分県佐伯市に生まれる | 高校卒業後に銀行へ就職 |
| 高校卒業後 | 旧三和銀行に入行 | 高校教師の推薦で大阪・淡路支店に勤務 |
| 銀行員時代 | 定期預金の契約件数で全国1位 | リーゼント姿の接客と札勘定の技術を習得 |
| 1986年 | 『彼のオートバイ、彼女の島』などに出演 | 俳優として映画デビュー |
| 1992年 | 『難波金融伝・ミナミの帝王』シリーズが始まる | 萬田銀次郎役が代表作に |
| 1997年 | RIKIプロジェクトを設立 | 出演に加え、企画・製作にも活動を広げる |
| 2023年 | 『欲望の街』シリーズが配信開始 | 主演・製作を担う新シリーズが始動 |
| 2026年 | 『欲望の街』No.11・No.12が展開 | 主演・製作の活動を継続 |
この年表から分かるのは、銀行員時代が単なる意外な前職として終わっていないことだ。札勘定という具体的な技能が代表作の演出に生かされ、接客で培った顧客との距離感や営業の工夫も、作品を届ける側に回った現在の活動と重ねて考えられる。
2026年の最新活動として注目されるのが『欲望の街』だ。RIKIプロジェクトの公式予告編や配信情報によると、No.11「セクハラ商法のカラクリ」は2026年2月28日、No.12「オンラインカジノと銃弾」は同年4月25日にU-NEXTで配信が始まった。ハピネットの公式リリースでも、同シリーズのNo.11・No.12を収録したDVD商品が2026年8月5日に発売されたことが告知されている。
このシリーズでは、竹内が主演だけでなく製作にも携わっている。銀行員として働いていた若い頃から、俳優、代表作の主演、そして映像作品の製作へと役割を広げてきたキャリアは、2026年現在も続いている。
【プロの結論】銀行員時代の逸話を正しく理解するための3つの視点
竹内力の銀行員時代をめぐる情報には、印象的なエピソードが多い。その一方で、話題性の高い部分だけが切り取られると、実際の経歴とは異なる理解につながりやすい。重要なのは、本人が語った事実と、その後の作品で生まれたイメージを分けて捉えることだ。
第一に、全国1位は定期預金の契約件数についての実績である。本人は営業の工夫や粗品の活用を説明しており、金融商品の専門知識がすべてにおいて優れていたと語っているわけではない。営業成績の高さを、銀行業務全般の能力を示す数字として拡大解釈しないことが大切だ。
第二に、銀行を辞めた経緯は、成績不振や解雇とは異なる。本人のインタビューでは、銀行員生活が性分に合わなかったことや、退職を申し出ても成績のよさから引き留められたことが語られている。勤務期間の表記には資料による違いがあるものの、本人が具体的に語った「2年2カ月」という期間は、銀行員時代を理解するうえで有力な手がかりとなる。
第三に、札勘定は俳優としての役作りに生かされた実務経験である。竹内は銀行員時代に現金を扱う仕事を通して技術を身につけ、それが『ミナミの帝王』の演技に生きたと説明している。元銀行員という経歴は意外性のある話題だが、それ以上に重要なのは、過去の仕事で得た技術を別の分野で再利用できた点だ。
また、2026年の『欲望の街』シリーズが示しているのは、過去の代表作の成功にとどまらず、自ら企画・製作することでキャリアを更新し続けている姿だ。俳優としての存在感と、実体験に裏打ちされた所作、作品を作る側の視点が重なり合っている。
【竹内力銀行員時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹内力はどこの銀行で働いていましたか?
A1:高校卒業後、旧三和銀行の大阪・淡路支店に勤務していました。現在の三菱UFJ銀行につながる銀行です。同行の公式店舗案内には、現在も淡路支店が掲載されています。
Q2:竹内力は銀行員時代に本当に営業成績全国1位だったのですか?
A2:本人のインタビューを掲載したENCOUNTなどの報道によると、定期預金の契約件数で全国1位になったと語っています。全国1位というのは、この契約件数に関する実績です。
Q3:竹内力が銀行を辞めた理由は何ですか?
A3:本人は銀行員の生活が性分に合わなかったと振り返っています。退職を申し出ても営業成績がよかったため引き留められ、本人のインタビューでは約2年2カ月勤務したと説明しています。
Q4:札勘定はいつ身につけたのですか?
A4:銀行員時代に現金を扱う業務を通じて身につけました。Smart FLASHの報道では、独身寮で2〜3カ月練習したという本人の説明が紹介されています。この技術は『難波金融伝・ミナミの帝王』の紙幣を数える場面にも生かされました。
Q5:竹内力は2026年現在、どのような活動をしていますか?
A5:2026年には主演・製作を務める『欲望の街』シリーズのNo.11とNo.12が配信され、DVD商品も発売されています。俳優として出演するだけでなく、映像作品の製作にも携わっています。
まとめ:竹内力の銀行員時代は俳優人生を支える原点だった
竹内力の銀行員時代は、旧三和銀行の大阪・淡路支店で働いた約2年間に集約される。高校教師の推薦で入行し、リーゼント姿で窓口に立ちながら、定期預金の契約件数で全国1位を記録。仕事のなかで札勘定を身につけたことが、後年の代表作『難波金融伝・ミナミの帝王』にもつながった。
銀行を辞めた後は上京し、スカウトをきっかけに芸能界へ。1986年の映画デビューから、Vシネマの代表的な俳優としての地位を築き、1997年にはRIKIプロジェクトを設立した。2026年も『欲望の街』シリーズで主演・製作を続けている。
この経歴から読み取れるのは、前職の経験が単なる過去の話ではなく、次の仕事で使える技能や判断力として残り続けるということだ。銀行員として身につけた札勘定、顧客の関心を引く接客、そして自分に合う仕事を選び直した経験。それらが重なり、竹内力という俳優の個性とキャリアを形作ってきた。
強面の金融屋というスクリーン上のイメージだけでは見えてこない、実務経験とキャリア転換の積み重ねこそが、竹内力の銀行員時代を知るうえで押さえておきたい核心である。